女性起業家を応援するヒューマンネットワーク新聞マガジン「わんからっとL」

わんからっとL 77号

2015/05


宮城県・創造的復興を掲げ、未来に向けて全力発進!

『踏み出そう!起業の夢への第一歩』

わんからっとLは今年5月で19周年を迎えることになりました。
これを記念して、4月16日県庁秘書課応接室において
「村井嘉浩宮城県知事と女性経営者との座談会」を開催いたしました。
インタビュー
●小泉─今日は、「村井知事と女性経営者との座談会」ということで、皆様にお集まりいただきました。女性経営者4名様から自己紹介をかねて一言お願いします。─

●阿部(憲)
─南三陸町から参りました阿部でございます。私は(株)阿部長商店で水産業、観光業では南三陸ホテル観洋を営んでおります。震災の影響で水産部門は甚大な被害を受けました。指定の避難所ではありませんでしたが、続々と住民の方が避難してきましたので、食と住が強みである我々旅館業の役目だと思い、震災直後から皆様のお世話をしました。「千年に一度の災害は千年に一度の学びの場」ではないかと自分達も感じておりました。
 南三陸でお買い物をして頂こうという企画では、商店街は元気になってきましたが、点在するお店が苦戦していると感じていました。そのため「南三陸てん店まっぷ」を作成しましたら、第1回「観光王国みやぎおもてなし大賞」を受賞することができ、とても光栄に思います。この機会に直接お礼を申し上げることができまして、本当にありがとうございます。

●阿部(佳)
─(株)アイ・アディール・クリエーション阿部佳代子と申します。私は起業して3年目になります。父母が兼業農家、祖父母が専業農家でした。農家はやるまいとほかの仕事をしていましたが、私の子どもがアトピーになったこと、そして自分自身30代前半で大病を患ったことをきっかけに、食の大切さを痛感しました。これは自分で作るしかない!と決意して周りが反対する中、祖父の土地で農業を始めました。農業は高齢化に支えられている現状と担い手不足で若手の育成が急がれています。高齢者である先駆者の皆様に農業について教えていただけるうちに地産地消の基盤を作りたいです。

●小野
─私は小野リース(株)の小野明子と申します。建設機械のレンタルや修理のほか、事故や怪我のないようにという思いから技能講習センターを開設しました。私は4年前に夫からバトンタッチされ、社長に就任しました。女性の力がどんどん広がってきていますし、とても重要ではないかと感じます。本業もさることながら、中小企業の皆様が県内でもっと元気に働ける環境づくりが必要だと思いますので、そのお手伝いができたらうれしいです。

●林
─かに八の林優子でございます。私は震災の年の6月に社長に就任しました。それまでは私自身が飲食店を手掛けることなど全く考えておらず、横浜で塾の講師をしておりました。当時闘病中だった社長(父)からお店に対する思いを聞かされ、その思いに応えたいと後を継ぐことを決心しました。その年は震災もありましたし、わからないことばかりで4年間続けてこれたのも地元の皆様にご指導いただき、支えていただいたからだと感謝しております。これからは宮城県の歴史ある和の素晴らしさをグローバルに広めていきたいと、日本文化を守る会を発足しました。宮城県の良さを多くの方々に知っていただくために、地域貢献したいと考えています。

●小泉─それでは知事にお伺いします。震災から4年が経過しました。宮城県の復興をけん引されるお立場として、震災からこれまでを振り返っての感想をお聞かせください。特に印象に残ったことはございますか。ー

■知事
─この4年間は被災者の生活再建を最優先に復旧・復興に全力で取り組んできました。復旧・復興には巨額の財源が必要です。新たな土地を整備し、そこで生活していただくためには、特区などを活用し、働く場の再建、雇用の創出を進めなければなりません。
 4年経った今、復興10年計画の残りは約6年です。今は、その先の宮城県の発展のための種まきの時期になります。
 今後、日本全体が人口減少期に入ります。宮城県の場合、このままの状態だと生産年齢人口は2025年には25%減となります。例えば観光業では宿泊者数の減少、農業では担い手不足、建設業では建築数の減少、飲食業では来店者数の減少など、どの業種にとっても大打撃となります。震災復興計画の計画期間が終了する6年後にも問題が顕在化するのではないかと危惧しています。復旧・復興に取り組みながら、そこにどう手を打つかが大切になります。被災者の方が宮城県で元気に働き続ける、生きていける環境をつくることが私の役割と思い頑張っております。

●小泉─「創造的復興」の進み具合はいかがでしょうか。ー

■知事
─単に元に戻す復旧ではなく「創造的復興」と呼んでいます。震災直後に、阪神淡路大震災当時兵庫県の知事であった貝原氏から「当時神戸港は世界的にも大きな港でしたが、復旧を進める10年の間に、あっという間にアジア諸国の港との競争に負けてしまい、復旧が終わっても神戸港には船は戻って来ませんでした。あの時10年先を見据えた神戸港の復旧ができず、時間はどんどん過ぎていく厳しい現実を残念に思いました。20年30年先を見据えて復興・復旧に取り組まないと時代に取り残されて、あとに残るのは高齢者だけとなってしまいますよ」とお話を伺い、そうならないようにすることが私の仕事だと思っています。

●小泉─「震災から4年の振り返り」と「創造的復興」について、お聞かせいただきました。みなさんから「知事に期待すること」を発言いただきたいと思います。ー

●阿部(憲)
─今回の震災で立ち止まってはいられない、何か行動しなければと思いました。様々な産業が地域に根差し商いをさせていただいていますので、みんなが力を合わせて共に先に進むことがとても大事なことで、それは経済効果の裾野が広い観光業がけん引役になるべきではないかとすぐに感じました。動き始めると雇用の面では人口流出が問題となり、労働力不足が非常に深刻な問題となりました。高齢化や過疎化の対策として「インターネット求人」も始めたのですが「被災地だから応援する」「自分の力を発揮したい」という方々が南三陸町に訪れるようになりました。本当に交流って大事だと感じました。
 東北に縁もゆかりもない方々がこの地域とかかわりを持つことで、置き去り感を感じていた被災者は元気をもらい、刺激を受けて学ぶこともあり、とてもいい影響を与えていただきました。

■知事
─これからは定住人口が減少するので人口を増やす努力をします。出生率を上げるために女性が働きながら育児ができる環境づくりを進めることはもちろん、交流人口を増やすことも必要となります。宮城県は東北と関東圏からの観光客がほとんどで関西圏や海外は少なく、そのため仙台空港を民営化することで民間のノウハウを生かして空港利用を増やし東北の活性化につなげたいと思います。仙台空港民営化は「創造的復興」の一つで、格安航空会社(LCC)で若者や外国人に直接仙台へ来てもらい、バスや電車を利用して東北6県の温泉や観光地を周遊するしくみを作りたいと思っています。日本では97空港あるうち、民営化第1号となる仙台空港は、震災以降の宮城県への外国人観光客の減少を取り戻し、交流人口増加の鍵となるでしょう。

●阿部(憲)
─LCCは本当にありがたくて、東北を訪れるリピーターが増えましたね。

●阿部(佳)
─10年前、健康や食の大切さから農業を始めましたが、現実的には農業だけでは生活できません。私はトラック直売から始めまして、品薄になったら近所の先輩に助けてもらい販売していました。先輩は当時70歳代がほとんどで、現在は80歳代になり高齢化に直面しています。実は蔵王町は専業農家が一番多く、農業のプロが多い町なんですね。しかし認定農業者のうち20代〜40代は少ないです。ぜひ、知事にお願いしたいのは、若手育成や女性も働ける体制を作っていただきたいのです。

■知事
─重要なポイントで、儲からなければ後に続く人はいませんからね…。

●小野
─弊社のお取引先様やお客様は東日本大震災によって被害に遭われた地域の後片付けや炊き出し、ボランティア活動など行ってきました。厳しい状況の中、働いている地元中小企業で特に建設業界のこれからがどうなっていくのだろうかと考えてしまいます。この難を乗り越えて、これからも地元宮城県で元気に働き続けていけるしくみを作ってほしいです。

■知事
─我々も大手ゼネコンだけでなく、なるべく地元企業にお願いし、適正な利益を得られるようなしくみを作らなければなりません。それは震災復興や東京オリンピックが終わった後も発展できるよう、継続していかなければならない大きな課題だと思っています。

●林
─仙台空港の民営化や仙台市における外国人受け入れ環境整備について、以前から考えなければならないことと思っておりましたので大賛成です。今日改めて知事のお話を直接聞くことができてうれしく思います。

●小泉─ありがとうございました。女性起業家の多くが、未来の宮城県の益々の発展に期待しております。最後にその期待に対して知事より一言お願いします。ー

■知事
─阿部さんのホテルがすばらしいと思うことの一つは、南三陸ホテル観洋に宿泊したお客様が地域の商店街で買い物をしてもらうという地域還元型のしくみがあることです。例えば外国人の方が宮城県に来て国分町でかにを食べたり、蔵王町に行って農業体験をしたり、南三陸町のホテルに宿泊するなど…。この「南三陸てん店まっぷ」をよいモデルとして地域をうまく連携させていくことが行政の仕事だと考えます。そしてこのしくみ作りには男性だけでなく女性の力が必要なので、ぜひ参画してほしいです。
 皆様のお話一つ一つを胸に刻んで、これからも頑張ります。

●小泉─ありがとうございました。村井知事のご活躍、創造的復興が順調に進みますよう期待申し上げます。ー
   

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異業種を越えた起業家向け情報ネットワーク新聞マガジンを創っていきます。

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希望の種
編集長
 おかげ様で、わんからっとLはこの77号で19周年目を迎えることになりました。改めて感謝申し上げます。
 昨年の1月頃だったかな・・・アサガオの種を80個ぐらいもらい受けました。そのまま春になり、5月、6月になり思い出したかのように試しに80個のうち40個ぐらい蒔いてみました。
 1週間後、1個の種から芽が出て双葉になりましたが、他の種からは芽が出ませんでした。焦ってまた40個蒔いたのですが、結局たった1粒の種しか芽が出なかったのです。それからは毎日、水をやり「大きくなれ」と話しかけ、たった1つの芽を枯らしては大変とハラハラしながら成長を見守りました。「からっとちゃん」と名づけました。
 土と日光と水と…。環境が整わないと種は芽が出ないことを当たり前のことですが、改めて思い知ったアサガオの成長記録となりました。
 この土、この光、そして水と…それは、この地球の上に生きている生命すべてに当てはまります。人も、一人では生きてはいけないんですよね。誰かが土になり、誰かが光になりそして誰かが水になって、たった一人の人間を成長させてくれるんです。
 19年前、今は亡きデザイン会社を経営する高橋社長様から1粒の種、わんからっとLという小さな種をもらい
受けました。
 「育てるのも、育てられなくなるのも、あなた次第…どうしますか?やっていこうとする情熱さえあればできるから!」そう言って、1年もしないで亡くなられてしまいましたが、私は大切に希望の種を育ててきたんですね。

  希望の種 おわけします。

 飛びきり旬な話題のあの人この方を取材いたしました。
 今回の号も盛りだくさん、ご意見ご感想をお寄せください。次の号で生かしていきたいと思います。
 19周年を記念してわんからっとLに登場していただいた方、企業会員様、一般会員の皆様、さらに購読会員様の方たちが楽しく集う会を夏に先立ち、恒例となりました交流パーティーとして開きたいと思います。
 ゲスト、お知り合いの方をお誘い合わせの上ご参加くださいませ。

わんからっとL編集長
小泉知加子