─宝塚歌劇団を退団なされた後の会社起業のいきさつは?
●─女優業をしていた時、中小企業の社長同士を引き合わせる(インタビュー)機会があり、雑誌は活字になり残るものではあるけれども、映像は社長の特長や話し方、情熱、パワーが直接伝ってくるので、社長の理念や会社の将来像を紹介するビデオがあればスムーズに双方をマッチングできると思いつきました。7年前は、インターネットテレビ(動画)はまだ知られていませんでしたので、私が始めることで皆さんに認知してもらえるんだと思ったことがきっかけで会社を立ち上げました。
始めは、インターネットテレビで放送したものをDVDにして販売という形をとっていました。約2年間で400社以上の企業様と取り引きさせていただきました。企業PRの一つとして考えていましたが、インターネットは世界にPRできるので、サウジアラビアの商工会議所から連絡を受け、日本の中小企業とのマッチングイベントを行ったこともあります。
以前から、舞台を見に来て応援して下さるファンの方々や企業様に舞台とは違った形で恩返しをしたいと考えていたので、映像の力を使って企業に協力できればいいなと思っていました。
起業するにあたり、私は“人に喜んでもらえるもの”を一番に考えました。
─震災の時はどんな状況でしたか?
●─平成20年にライオンズクラブに入会し、2年過ぎた頃に東日本大震災が起きました。3月11日は池袋でライオンズクラブのイベント中でした。私は西口公園の野外ステージで司会をしていました。公園は広域避難所だったので、数千人の人々が避難してきました。たまたま舞台上でマイクを持っていた私は誘導と情報伝達を行いました。震源地が出身地の宮城県だったことを知り、居ても立ってもいられませんでしたが、イベント用テントは救護室になり、マイクで最新情報を発信、落ち着いた行動を呼びかけました。ライオンズクラブの先輩方の機敏な行動、判断力を目の当たりにして私もやるべきことをしなければと思い、弊社の機材車で具合の悪くなった方やお年寄りを病院まで搬送しました。
途中で仙台の実家の母と連絡が取れ、家族は無事との知らせに安心しました。その時、天から「今、故郷の東北に恩返しする時だよ」と言われたんです。その天の声は父でした。早くに父を亡くし、私は自分のやりたいことのために家を出て、家族には心配ばかりかけていたので、ライオンズクラブを通して東北への支援は私のやるべき宿命なんだと思いました。無理をせず、継続的に自分ができることをできるだけやろうと決心しました。奉仕活動を教えてくれたライオンズクラブとの出会いが必然だったように思います。
ライオンズクラブに呼びかけて、多くの物資が集まりましたが、運送会社は見つかりませんでした。たまたまレンタカー会社の2トントラックが1台だけ空いていたので、クラブメンバーとともにレンタカーで自力で物資を運搬しました。途中雪が降ったり、実家の家族からは2次被害に遭うから来るなと怒られたりしましたが、仙台まで何とか運びました。そこから、石巻市や塩釜市へ物資は運ばれ、私たちはそのままUターンして東京へ帰りました。
自分一人ではできないことも同じ志の仲間がいればこれからも支援していけるし、いろんなことができるんだなと思い、奉仕で繋がっている仲間、ライオンズクラブってすばらしいなと実感しました。
─経営者の中でも奉仕団体ライオンズクラブに熱心な理由は?
●─平成25年9月にライオンズクラブ国際協会330─A地区東京ピースライオンズクラブが認証され初代会長に就任しました。東日本大震災後の奉仕活動の中で、今後も私たちにできることを無理なく細く長く続けていこうという仲間で結成しました。
12月16日ライオンズクラブ国際協会330─A地区第1R第2Z東京ピースライオンズクラブとして「太陽光発電設備一式」を寄贈し、太陽光発電システムは町内の方などが使用するコインランドリーや、ボランティアの方々が宿泊する施設(石巻地区ライオンズクラブボランティアセンター)に設置しました。震災当初よりライオンズクラブとして交流があったからこそ、お世話になっている石巻地区の皆様に恩返しをしたいという思いから実現しました。
太陽光発電システムは電気代をまかない、余剰電力は買い取ってもらえるので、長く使っていただけます。わずかでも今後の施設運営維持の保険料や修繕費など様々なことに役立てていただければと思います。
これからも事業の中でできることはライオンズクラブを通して支援していきたいです。
─これからどんな会社にしていきたいですか?
●─今は全てが映像の時代です。たくさんの企業からご依頼いただきますが、映像をつくるだけでなく弊社でしかできない技術や感性でPRやサービスを構築していきたいです。具体的にはAR技術を取り入れた映像制作を考えています。これから東京オリンピックまでの間には、かなり世の中に浸透していると思われます。
すでに、昔から将来は新聞・雑誌など紙はなくなると言われ、現在電子雑誌などが普及しています。しかし、やっぱり紙は必要なんです。技術としてARを取り入れました。
映像を撮り、編集製作には時間とお金がかかります。企業に本当に喜んでいただくために、コストは減らしクオリティーは維持しながら、上手に利用して紙と連動させたいです。
─東北を応援したいという思いから「パッションリーダーズ」という経営者の交流会を立ち上げたそうですね?
●─あの忘れてはいけない、3・11の後、東京もお店が潰れていったり経済が鎮まりました。そんな中、友人でもある東証一部上場会社(株)ネクシィーズ近藤太香巳社長達と、「支援していかなくてはならない我々が今こそ力を合わせ頑張り経済を活性化していかなくては!」と立ち上がったのが経営者の会「パッションリーダーズ」。
震災後一ヶ月後立ち上げ70名くらい集まり、事業を頑張れば、東北支援に必ずなる。経済を活性化して東北を、日本を必ず元気にしていける。そう願い、まもなく三年目で1500人を超えようとしています。この熱い思いが、名古屋、大阪、高松にもでき、間違いなく活性化してもっと元気になる、パッションリーダーズ仙台が5月に開催予定です。
オリンピックまでには、東京と同じ、東北に情熱と素晴らしい仲間を増やし日本を世界にPRしていきたいですね。