女性起業家を応援するヒューマンネットワーク新聞マガジン「わんからっとL」

わんからっとL 65号

2012/05

お直しを通して日本一愛される会社を目指す! お直しコンシェルジュ「ビック・ママ」



─お直しはお父様が始められたのですね。
●─昭和39年に父が創業しました。お直し専門の会社を始めたのは、父は機械を扱うのが上手で、母には洋裁の修業経験があったからです。当時、お直しは縫製工場か注文服だけでは食べられない仕立て屋の仕事でした。そのうちお誘いがあって長崎屋に出店しました。小学校時代から配達など父の手伝いはしていましたが、後を継がず、大学を出ると保険会社へ入りました。
─どんなきっかけでお直しの世界に入られたのですか。
●─仕事の面白さは感じませんでしたが、保険会社ではいい先輩との出会いがありました。自分は独立心旺盛で野望が強かったのですが、「それならこの会社にいてもダメだ。実践を積んだほうがいい」とアドバイスしてくれました。そしてある時、年老いた私の父を見て「やめて手伝えよ」と言ったんです。それまで父の後を継ごうと思ったことは一度もなかったのですが、「そうか、その選択肢もあるんだ」と心にしみました。9ヶ月ほどで会社をやめて、父のお直しの仕事に本腰を入れ始めました。


─その頃はどんな状況だったのですか。
●─取引先を開拓しようと仙台市を中心に営業をしていました。当時はライバル会社もなく、お直しは営業するほど確立された分野ではなかったんです。実感したのは、お直しは不満が多い業種であること、業種そのものにお客様が魅力を感じていないということです。できれば直したくないが、しかたなく直す、という消極的な頼み事。逆に可能性があったし、営業は面白かったですよ。平成4年の有限会社化に伴い、23歳で正式に入社しました。平成5年には守井加工所から株式会社ビック・ママに変わり、父は社長から会長になりました。「いろいろな仕事を生み出す母親のような会社になろう」という意味を込めて「ビック・ママ」と名づけたんです。



─順風満帆とは行かず、大変なご苦労もあったとか。
●─夢と現実にはギャップがあって、ずっともうかりませんでした。事業の方向性が定まらないうちに、平成12年、債務超過に陥りました。まわりの態度が一変し、銀行からは「もう貸せない」、人からは「つぶれる」と言われる。大赤字という現実をはじめて目の当たりにして、経営の改革を迫られました。それまで4割もあった下請けの仕事を切り、経営責任のあった人にやめてもらい、お客様と直に接する小規模な店を始めました。
─141ビルの地下に出店されたのですね。
●─仙台141(現 仙台三越)店を開いたことは、大きな転機でしたね。お客様が気軽に相談できるよう、すぐに声をかけられるカウンター形式を採用し、作業風景をあえて見せて安心感を持っていただけるようにしました。たまたま「神様から愛された」のでしょう。直したい、困っている、というお客様が大勢きました。この成功が突破口となり、ここ10年ほどでシステム化ができて各地に店舗を広げ、現在は46店舗。立地条件がいいこともうちの付加価値です。


─女性が一生働ける職場を目指しているそうですが、どんなことを心がけていらっしゃいますか。
●─男性は、20年後のために、日本のために、とか、大きなことのために小さなことは我慢できます。それに対して女性は毎日が大事で、気づいたら20年経っていた、という時間の感覚で生きていると思います。うちの従業員のほとんどが女性です。だから毎日が快適に過ごせるよう、指示をしっかり出してあれこれ考える不安を取り除き、日々が積み重なっていくような職場環境づくりを大切にしています。
─これからの展開をお聞かせください。
●─衣類の買い取りサービスを開始したので、お直し、保管、買い取りの循環型サービスをますます充実させていきます。こうして培ったノウハウで海外進出をしたいですね。パリには、古い物を大事にし、お直しにもお金をかけるという文化があります。だから、60分ですそ上げをします、というような明確なコンセプトを持った店舗ならチャンスがあるのではないかと、心がときめくんですよ。「もったいない」の心を世界に広げたいと思います。



守井 金一会長(83歳)
 息子が私の後を継いで会社を成長させてくれて、これ以上うれしい事はないですね。息子の思うようにこれからも頑張ってもらいたいです。どうぞ、よろしくお願いいたします。
守井 恵子さん(73歳)
 主人とやってきた小さな会社を息子が継いでくれるとは思いもしませんでした。本当にうれしく思っています。
孫も生まれ、毎日幸せに暮らしています。
三越店店長
奥山 志帆子さん
 入社して7年目になります。現場でお客様と直接お会いしてご要望に応えて、喜んでくれる姿を見ることが本当にうれしく思う時です。これからも長く務めていきたいです。
マネージメントマネージャー
近江谷まさ子さん
 下の子が中学生になったのを機に平成8年に入社し、16年目に入りました。経理と総務を担当しています。若い人たちの相談にのることも多いんです。店頭でお客様と接するスタッフにも縫製スタッフにも、いろいろな悩みがあります。アドバイスしたり、ただ聞いてあげるだけでも力になれる。人が財産の会社ですから、自分の経験を生かし、こうしてスタッフの相談にのることで会社の役に立てるのが、一番のやりがいですね。現在60歳ですが、あっという間でした。「近江谷さんはビック・ママのビック・ママ」という方もいますが、最高齢の方は76歳! この会社には定年がないので、まだまだ仕事は続けたいと思います。
株式会社 ビック・ママ 〒980-0023 仙台市青葉区北目町6-6
TEL 022-223-5328 FAX 022-211-7156
http://www.big-mama.co.jp/


   

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夢と誇りをもって魅力ある企業を創ろう。
 こんにちは、わんからっとL65号をお届けします。今年5月発行で、わんからっとLも16周年を迎えました。
 震災から一年が過ぎ、宮城県・仙台市は今、懸命に復興に向けて取り組んでいます。
 その中で、仙台の街に薫風のように、新しく輝きを放ち彩りを添えてお目見えした3社の企業を特集しました。
 トップ特集は「お直しコンシェルジュ ビック・ママ」 (株)ビック・ママ(守井嘉朗代表取締役)。三越地下のお直し店舗を皮切りに全国展開を目指しています。
 クリスロード商店街では(株)早坂サイクル商会(早坂武代表取締役社長)が、新しいライフスタイルの提案をしていきたいと「ハヤサカサイクル仙台中央店」をオープンしました。
 創業115年の(株)いたがき(板垣金太郎代表取締役社長)も新本店をJR仙台駅東口に建設。フルーツパーラーの新業態による多店舗展開をしています。
 洋服のお直し屋、自転車屋、果物屋…。昭和の時代から街の片隅に溶け込みながら、家族ぐるみで家業を営んでいる日本のどこにでもある風景が目に浮かんできます。
 地域の中で誰よりも早く起きて、仕入れに行く働き者のお父さん、誰よりも遅く床に就く、これまた働き者のお母さんに背中で育てられながら、子供たちは成長していきます。自分の家の家業を「将来性がない」と思い、「継がない」という選択もあったでしょうが、この3社の息子たちは違いました。
編集長

 「街の真ん中に、お店を構え、時代にあった店づくりを展開し、地域のお客様に喜んでもらえるような会社に発展させたい」。
 女性起業家を応援するわんからっとLでは、一見対象が違うかと思われますが、縁の下でお父さんを助け、励まし、子供たちを育ててきたのはお母さん。女性の力が在ったからです。
 「息子があとを継いでくれて、こんなうれしいことはありません」。
 ビック・ママの守井嘉朗社長を育てた恵子さんは少し涙ぐみながらも神様がくれた聖地である三越地下のお店でお孫さんと一緒に、記念撮影に臨んでくださいました。女性スタッフの手には仕事に欠かせない大切なカラフルな糸が。「家族の絆」を象徴しているかのようです。

わんからっとL編集長
小泉知加子