女性起業家を応援するヒューマンネットワーク新聞マガジン「わんからっとL」

わんからっとL 60号

2011/02

老舗企業120年夫婦二人三脚「2人合わせて174歳の新たなる挑戦」


★温麺から福祉へ

―温麺一筋でこられた佐藤さんご夫妻が、社会福祉法人を立ち上げられた経緯を教えて下さい。

汀子─もともとは平成9年に、私が訪問入浴サービスの会社を起こしたのがきっかけでした。平成8年秋、婦人部の家庭訪問で「うちのおばあちゃん、1年もお風呂に入っていないの」という話を聞き、それを市長さんにお話しする機会がありました。その時に「来年から福祉に力を入れたい。あなたが訪問入浴を始めてくれないか」と言われたんです。
 その時私は73歳で、本業の会社の方はもう若手に任せていましたので、じゃあやってみようかということで、手伝ってくださる仲間と一緒に鞄兼本ひまわり福祉センターを立ち上げました。

―未経験の分野での起業ですから、ご苦労もあったでしょうね。

汀子─福祉の仕事はまったくわかりませんでしたから、水戸の移動入浴車メーカーさんのところへ研修に行き、ノウハウを教えていただきました。なんとか人を集め、車も買って事務所を開設しましたが、最初のうちは経費がかさみ、私自身は3年間は無給でしたね。でも、実際始めてみると利用者の方がとても喜んで下さるんですよ。お風呂に入って濡れた手で看護師さんの頭を撫でたり、手を合わせたり。やってよかったと思いましたね。また、スタッフの皆さんの福祉に対する意識が高く、若いのに本当に頑張ってくれる人ばかりで、私も非常に刺激を受けました。

―当時はちょうど福祉制度も転換期でしたね。

汀子─会社を起こして3年目に介護保険が始まったんです。社会奉仕のつもりで始めた事業も、時代の後押しもあって利用者さんの数もヘルパーさんも増え、スタッフ40人ほどの事務所になりました。

★「旅館の親父さん」に転身

―温泉施設「白石温泉 薬師の湯」を始められたきっかけは。

汀子─平成18年に営業を終了した「かんぽの宿白石」を再生するため、市が建物を購入したのですが、それを私のところで譲り受けて運営してくれないかというお話を頂いたんです。
 そのためには会社を解散し、社会福祉法人を新しく立ち上げなければなりませんでしたからすごく悩み、ついには体調を崩して入院してしまいました。その時、ヘルパーさんから「社長、今まで通りやればいいんだから、がんばりましょうよ」と励まされ、すごく救われました。私が入院不在の間、従業員の皆さんが団結して会社を立派に守ってより良い会社にしてくれました。今でも感謝いっぱいです。
 市から依頼されての事業ですので、主人が代表になった方が良いだろうということで、理事長をお願いしました。

孝一─84歳でうどん屋から旅館の親父になったわけですから、苦労しています(笑)

汀子─経営会議に出かけたり、玄関でおじいちゃんやおばあちゃんを出迎えて接客したり、主人も結構楽しんでいますね。

―まさか旅館業へ転身されるとは思いもしなかったでしょうね。

汀子─夢にも思っていませんでしたね。これも、子供たちが本業を受け継いで一生懸命やってくれているからこそできたわけですから、感謝ですね。

―日帰り入浴と宿泊のほか、介護保険事業の一環としてデイサービスも行っているのですね。

汀子─小規模多機能型居宅介護というものでして、朝から夕方までお年寄りの方をお預かりしているのですが、泊まりも可能ですし、来られない方の所にはヘルパーとしてお伺いするというシステムになっているんですよ。

―開業から4年目を迎え、いかがですか。

孝一─経営の方は、おかげ様で昨年ようやく黒字になりました。こちらの開業にあたっては、自分たちの個人資産も随分使いましたが、お世話になっている地元に対する恩返しのつもりでやっています。

汀子─社会福祉法人ですから宣伝はほとんどしていないのですが、かんぽの宿だった頃からのリピーターのお客様はもちろん、口コミで来られるお客様もたくさんいらっしゃいます。この辺りは冬は白鳥も来ますし、春は桜がとてもきれいで、観光地としても人気があるんですよ。

★地元のお年寄りに愛される温泉として

―ご夫婦仲良く、強い絆で結ばれていらっしゃるお二人ですが、馴れ初めも運命的だったとか。

孝一─戦時中、私たちは横浜の会社で一ヶ月ほど一緒に働く機会がありました。その後、私は海軍に入隊し、特攻隊に志願して出撃命令も下りたのですが、まもなく終戦を迎えて白石に帰還することになりました。そうしたら、出迎えに来た人の中にこの人がいたんで、本当にビックリしました。

汀子─「○月○日出撃す」のハガキをもらっていましたので、当然戦死したものと思ってお墓参りさせて頂こうと訪ねたら、家の人が温かく迎えてくれ、泊まっていけと言ってくれて。そうしたら偶然その夜、生きて帰ってくるという電話があったんです。

孝一─私の親父も親父で、前日に会ったばかりの人なのに「お前、汀子どうすんだ。良さそうな人だからもらってやっぺ」と(笑)。この人も「ありがとうございます」なんて言って。

―結婚して商売の道に入られ、ご苦労もあったのではないでしょうか。

汀子─商売のことはまったくわかりませんでしたから、最初はとまどいましたね。ある時、家にお金を借りにきた人がいたのですが、その人が帰る時に、義父が座布団から降りて「ありがとうござりした」と言ったんです。お金を借りにきた人にありがとうという姿勢に、私はビックリしちゃって。これが商人道というものなのだと、後になって思いました。それからは私も「ありがとう」が自然に出るようになりました。成長させてくれた義父に感謝ですよ。

―その後は温麺屋のおかみさんとして、また3人のお子さんの母として頑張ってこられたのですね。

汀子─大変でしたが、いつも主人の助けがありましたから。この人は本当に芯が強いんですよ。愚痴は絶対言いませんし。私が福島の病院に入院した時は、忙しい時期だったのに毎日お見舞いに来て、手を取って一緒に散歩してくれたんです。今でもそのことを思い出すと涙が出ます。

孝一─お前の文句を聞かないと、落ち着かないから(笑)。

―これからどのような展開を目指していかれますか?

孝一─私は旅館業の経験がありませんので、今後どうすれば良いかといった明確な目標があるわけではありません。ただ、白石のお年寄りの皆さんが「いい温泉だったな」「体が良くなったな」と喜んでくださればいいなと思いますね。こちらのお湯は体が温まりますから、年配の方には特にお勧めなんですよ。誰でも泊まれますので、ぜひ来てみてください。

汀子─73歳で福祉事業を始めた時も、あなたが介護を受ける年齢でしょう、と皆さんに言われました。でも、やっぱり仕事というのは面白いんですよ。新しい出会いもありますし、私自身、動いているのが好きなんですね。これからも生涯現役で、今まで通り毎日一食は麺を食べて二人仲良くやっていきたいと思います。



   

創意と工夫と
 こんにちは、わんんからっとL60号をお届けします。おかげ様で年に4回の発行で始まったわんからっとLも15周年になりました。
 記念すべき今回の号は、なんといってもご夫婦2人合わせると174歳!となる「新たなる挑戦」と題したスペシャル対談です。なんとお二人の年齢がともに87歳。
 はたけなか製麺椛纒\取締役会長の佐藤孝一さん・社会福祉法人白石ひまわり福祉センター顧問の汀子さん。
 「やっぱり仕事というのは面白いんですよ。新しい出会いもありますし、私自身、動いているのが好きなんですね。これからも生涯現役で、今まで通り毎日一食は麺を食べて二人仲良くやっていきたい」と汀子さん。お二人のお話は明るくはつらつとなんとも言えない温かさが回りの雰囲気を包んでいくパワーがあります。特に汀子さんの笑顔は、そう、まさに白石温泉薬師の湯の春に咲くうすピンク色の桜のような気がしました。
編集長


 わんからっとLは、まだまだ15周年。これからもさらに努力を積み重ねて邁進していきたいと思います。
 ─生涯現役─。汀子さんのように。


わんからっとL編集長
小泉知加子