―会社を設立された経緯をお聞かせください。 ●文夫─私は菓子製造業を営む家の次男に生まれ、学校卒業後はお菓子と食品の問屋で営業をしていたのですが、昭和51年、31歳の時に独立しました。当初は飲食業をやってみようと漠然と考えていたのですが、私をいつも応援してくださっていた名取市農協の営農部長だった方から「今まで通り問屋をやるべきだ」と助言を受け、それもそうだと思い直し、大河原で菓子の卸売業を始めました。 ―独立にあたり、奥様の克子さんは生活に不安もあったのではないでしょうか。 ●克子─独立した当時は結婚3年目で2歳と1歳の子供もいたのですが、まったく心配はしていませんでした。結婚する時に主人から「将来は独立したい」と言われていましたし、この人はずっとサラリーマンでいる人ではないと思っていましたから覚悟はできていました。それに、男性は一旦こうと決めると止まるものではありませんしね。 ―事業は順調に軌道に乗られたのですか。 ●文夫─昭和53年の宮城県沖地震の被害で倉庫が使えなくなり、それを機に会社を移転したのですが、倉庫が大きくなったことで仕事が増え、売上も順調に伸びていきました。 ―うす皮たい焼き「鯛きち」が大評判ですね。 ●文夫─最初は10円饅頭の店を出すつもりで準備を進めていたのですが、ちょうどその年に糖尿病の診断を受け、まもなく緑内障を発症してしまいました。饅頭の販売には工場も店舗も必要になるなど課題がたくさんあり、病気を抱えてどうしようかと思っていたところ、知人からたい焼き屋を勧められました。 ―事業の拡大を克子さんはどのような思いで支えてこられたのでしょうか。 ●克子─振り返ってみると、私は主人がやろうとしたことについて一度も否定したことがないんです。もともとゼロからのスタートでしたから、やりたいことをやった上でゼロに戻ってもいいじゃないかと。やはり主人には悔いがない人生を送ってほしいし、それが黒子としての私の役割だと思っています。 ―娘さん3人も会社に入られたそうですね。 ●克子─これまで私がやっていたことを娘たちと分担したことで、気持ちが楽になりました。真剣だからこそ親子でぶつかることもありますから、その時に間に入るのがちょっと大変ですね。 ―これまで経営の上で大切にしてきたことを教えて下さい。 ●文夫─やはり、「恩」だと思います。夫婦の間でもそうですし、お世話になった方からの恩は決して忘れないように心掛けてきました。 ●克子─それに加えて、「感謝」ですね。会社を支えてくれるスタッフに対してはもちろん、数多いお店の中からうちを選んでくれたお客様にも感謝です。もちろん主人に対しても私のことをもらってくれてありがとうという気持ちです。 ―起業を目指す若い方へ向けて、メッセージをお願いします。 ●文夫─これは当社の社是でもあるのですが、「チャンスは努力によって生まれる」ということです。一昔前と違い、今は寝る間を惜しんで働いても結果的に報われないという人はたくさんいます。自分の考えをきちんと持った上で努力することで、運が開けていくのではないでしょうか。
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